山調ブログ

山形調理師専門学校です。プロフェッショナルな調理師を目指す学生の皆さんの実習風景や学生生活のようすなどを中心に、ブログを綴ります。

2021年05月

 南陽市諏訪神社の帰り道、上山市三吉山の金生熊野公園に立ち寄りました。
 三吉山は、上山市が推奨するクアオルト認定コースの一つで、中腹コース(1.8㎞)と山頂コース(2.7㎞)があります。
 ニッコウキスゲが見頃を迎えています。
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 ここの公園は、『農業五十嵐宏吉さん(89)が所有地に整備し2003年から妻せいさん(88)とニッコウキスゲを植栽。わずかに自生していたものの美しさに魅了され、夫妻でこつこつ株分けし現在は約7ヘクタールの土地に2万1千株まで増やした。公園まで車でアクセスでき、花の斜面の最上部からは市街地の景色を一望できる。来園者は年々増え、市民の憩いの場所になっている。』(山形新聞2021.5.25.より転載)
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 公園からは、威風堂々たる巨石を抱えた「金生熊野神社」が、眼下に見えてきます。
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 金生熊野神社由来には、「平成18年、宮内熊野神社が1200年の式年祭を執り行う際、現宮守の五十嵐宏吉氏が御分霊を懇願し、私財を擲って、石の社殿を完成させた」とありますから、ニッコウキスゲの植栽と神社建立の二つを五十嵐さんが成し遂げたということです。



 学生の実習がスタートしました。
 山独活の皮は、案外すんなり剝けましたが、乱切りのところで指導が入ります。「何故、大きさが揃わないのか」、左手の添え方に難がありました。手解きの通りにしてみると、前と後では大違いです。
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 「細竹の初めの一刀は、どうすんだっけ?」
 「こうして、あ~して」と教える学生は、流石です。テキパキと姫皮も一人で、上手に剥いていきます。 
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 でも、多くの学生は、戸惑っています。
 そんな時は、会田先生も伊藤先生も、手が止まっている学生の脇に並んで、手の動かし方や包丁の使い方、そして食材の持ち方など、丁寧に教えて下さいます。
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 これが、少人数を指導する本校の大きな特徴です。




 5月28日(金)、快晴。
 文翔館の皐月躑躅が、陽の光で奇麗に見えたので、ちょっと散歩をしてきました。
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 通勤、通学で多くの方々が、この建物の脇を通り抜けていきます。
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 文翔館は、旧県庁舎と県会議事堂であることは、若年層になると知らない方も出てきます。
 いつもの如く、HPからの転載です。
 『明治9年に現在の山形県が成立した後、初代県令三島通庸の手によって明治10年に山形県庁舎が、また同16年に県会議事堂が旅篭町に建設されましたが、同44年5月の山形市北大火により両棟とも消失してしまいました。ただちに同地で両棟の復興が計画され、大正2年4月に着手、同5年6月に完成したものが現在の旧県庁舎及び県会議事堂です。

 設計は米沢市出身の中條精一郎を顧問として東京都出身の田原新之助が担当し、工事は山形県の直営で行われました。』

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 『旧県庁舎及び県会議事堂は、英国近世復興様式を基調とした建物で、渡り廊下で結ばれています

旧県庁舎はレンガ造り3階建てで外廻りの壁面は石貼りで覆われています。昭和50年まで県庁舎として使用されていました。』

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  園内を歩いていると、躑躅以外にも、花々が彩鮮やかに咲き誇っています。


 受付で、600円(芍薬の肥料等の代金)を支払い、園地を巡ります。
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 まだ、開園間もないこともあり、まだまだ咲き始めというところです。
 花にばかり目を取られていると、電気柵にぶつかってしまいます。イノシシ対策でしょうか、かなり広範囲で電気柵を張り巡らせています。
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 境内を出て、芍薬園地に移動します。
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 芍薬の種類は、108種、約5000株にものぼるそうです。6月中旬まで楽しめるようですから、また、満開の時期を狙って、目の保養に訪れたいものです。


 

 南陽市の元中山にある「芍薬の杜 諏訪神社」で、芍薬まつりが始まりました。(5月27日)
 諏訪神社のHPによると、『西暦1601年頃(関が原の戦いの翌年)中山城の武将清水三河守康徳が信州諏訪大名神を勧請したと伝えられています。』とあります。

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 また、芍薬祭り20周年を記念してつくられた「ふくろうの宮」の背景には、次のようなエピソードがあるそうです。
『三河守康徳は、悲しむ心と心理を見抜く知徳をそなえ、運を運ぶ鳥と言われたふくろうを大切に思い、ふくろうの棲むこの森に、諏訪大明神を迎え入れ、社を建て、時が過ぎ、養蚕が盛んになると、「昼は諏訪の神の化身である蛇が蚕(カイコ)を、夜はフクロウが繭を守る」との信仰が広まり、近隣諸国からも参拝者が集まるようになりました。
 時が過ぎ、養蚕が廃れて、参拝者が減るとふくろうの森は、人々の目から遠ざかっていきました。
 それを憂いた先代宮司が、1995年から森を整備し、厄払いの花「芍薬」の栽培を始めたところ、ふくろうの声を聞かなくなってしまいました。
 ところが、縁あって石垣島から2羽のふくろうが舞い込み』、今に至るそうです。(詳しくは、諏訪神社HPで)
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 手水舎は、ご覧のように水は流れていますが、柄杓はありません。今は、どこの神社を参拝しても、コロナ感染対策の一環で、「柄杓で手を洗う・口をすすぐ」ことは、できません。
                                      (続きは、明日)








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