4月7日(水)、昼過ぎに霞城公園を再び訪れました。
 朝の様子とは打って変わって人出が多く、密に感じて車から降りての花見を諦めました。
 4月8日(木)、山形新聞に「山形市内ここでも花見」に掲載された『第二公園』に立ち寄ってからの出勤です。撮影スポットとして、この立ち位置の左側にある展示車輪の台座が最も適しているようです。新聞の写真もそこからのアングルですが、先客2名様がお話ししながら、なかなか降りられないので、諦めました。何しろ、この公園を囲む3辺の道路には、10M置きのように「駐車禁止」の立て看板があるのですから。
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 気を取り直して、諏訪神社に向かいました。
 隣接する諏訪の杜保育園への送りでしょうか、結構なスピードで駐車場を横切る車が多くて、びっくりしましたが、こぶし?(白木蓮?)と枝垂桜がちょうど見頃で、気を良くして神社を後にしました。
 
 神社の縁起は、HPによると
 文明6年(1474年)、この地方は晴天が続き、水がすっかり枯れ果て農作物の収穫を期待することは、殆ど出来ない状態でした。
 そんなある日、城主 斯波右京大夫義春公の夢の中に「汝信仰の心あらば辰巳(東南)の方角樹木蒼にして荘厳の城に遷座せよ」とのお告げがありました。当時、このあたりは河原でしたが、神に祈る思いで早速起工に踏み切り、雨乞いも続けられました。一日目が過ぎ、二日目が過ぎ、三日目の雨乞いの最中に、突然空が曇りだし大雨が降り出し、待ちに待った大雨に城主も農民も大喜びでした。この雨をいただき、初めての収穫物である茄子がやっと採れたのでした。それ以来、人々は茄子を神の御加護と仰ぎ今日まで言い伝えられています。この時祀った神社が諏訪神社で今でも例大祭の折には、茄子を供え祈願しています。 又参拝者は茄子を五個程持参し供え、二個程持ち帰り神の御加護をいただく習慣が残っています。

 4月9日(金)、山形新聞に「山形市内ここでも花見」に掲載された『坂巻川』のちょっと下流です。歩道橋からの撮影です。
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 屋根が水平になるよう撮影すべきでしたね。奇麗な割には、安定感のない写真になってしまいました。